外環まめ知識

50年がかりの壮大なプロジェクト

都心から約15kmキロの圏域を環状に結ぶ、東京外かく環状道路。この道路が計画された経緯や、実現までの過程を振り返ります。

1952年(昭和27年) 改正道路法(現:道路法)が制定

第二次世界大戦後、敗戦国となった日本に、GHQは道路網の維持修繕五ヵ年計画の策定を要請し、1952年に改正道路法が制定されました。自動車の普及とともに道路整備の重要性が認識されはじめました。

1956年(昭和31年) 世界銀行道路調査団によるレポート

「日本の道路は信じがたいほどに悪い。工業国にしてこれ程完全にその道路網を無視してきた国は、日本の外にない。」高速道路整備を語る世界銀行道路調査団団長ラルフ・J・ワトキンスの調査報告書の一文です。当時の日本は、一般国道の舗装率がわずか16%で、国道一号ですら馬車やリヤカーが通っていました。このワトキンスレポートにより、日本の高速道路事業が一気にスタートしました。

1963年(昭和38年) 環状線構想

都心部の道路の骨格として、3環状9放射のネットワークが計画されました。
以来、東名・中央・関越・東北道など放射方向の高速道路は整備されましたが、環状方向の整備はなかなか進みませんでした。

1966年(昭和41年) 都市計画決定

東京外かく環状道路について、都市計画決定がなされます。
このときの計画では、道路は高架で建設される予定でした。

1970年(昭和45年) 事業の凍結

建設大臣の「地元と話得る条件の整うまでは強行すべきでない」旨の発言により、計画が凍結されます。

1998年(平成10年) 事業再始動の兆し

東京都が建設省・関係区市からなる「東京外かく環状道路とまちづくりに関する連絡会議」を設置しました。

1999年(平成11年) 事業の再スタート

東京都知事が「地域環境の保全や街づくりの観点から、自動車専用部の地下化案を基本として計画の具体化について取り組む」ことを表明しました。

2007年(平成19年) 都市計画変更決定

当初の高架方式から地下方式への計画変更が決定されました。

2009年(平成21年) 事業化

整備計画が了承・決定され、正式な事業として道路建設が進むことになりました。

2012年(平成24年) 着工式

地元関係者(町会・自治会長等)を含め約180名の来場のもと、鍬入れを行い、盛況のうちに着工式が執り行われました。

2017年(平成29年)2月 発進式

東名JCTから北方向に2基のシールドマシンが発進しました。

2019年(平成31年)1月 発進式

大泉JCTから南方向に2基のシールドマシンが発進しました。

  • ワトキンスレポートに掲載された悪路の写真

    提供元:勁草書房

  • 3環状9放射

  • 着工式

  • 2017年2月 発進式

  • 2019年1月 発進式